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思想の科学1989年12月号〜1990年9月号(思想の科学社)

連載エッセイ「万国すみれ少年」

「萬国周遊の旅から帰りて」(1989年12月号 ¥906/¥880)
「赤裸男くんのエロス、菫礼男くんのエロス」(1990年1月号 ¥803/¥780)
「アラビアのロレンスのように」(1990年2月号 ¥999/¥970)
「あの頃のあがた森魚」(1990年3月号 ¥803/¥780)
「芸能人ってなあに?」(1990年4月号 ¥不明)
「西安の少年芸人」(1990年5月号 ¥803/¥780)
「ハムザの音楽の旅」(1990年6月号 ¥845/¥880)
「少年たちがかわいそう」(1990年7月号 ¥845/¥820)
「ゆうくん、ゆっくり静養しておいで」(1990年8月号 ¥885/¥860)
「また会いましょう」(1990年9月号 ¥803/¥780)


1990年9月号「ゆうくん、ゆっくり静養しておいで」

1990年9月号「ゆうくん、ゆっくり静養しておいで」 雷蔵の初期メンバー、ベーシストの藤井裕さんについて語ったエッセイ。

 この春結成したばかりの、僕の新しいバン ドユニット<雷蔵>。7人編成の大所帯なのだが、そのベーシストの藤井裕くんが出血性胃かいようで入院した。手術もするそうだ。
 胃かいよう程度での入院や手術は、ちまたでは日常茶飯事なのだろうが、いざ自分の身近な、しかもバンドのメンバーがとなると、色々と考えさせられてしまう。
 第一に、僕らは少年時代や思春期に出会った音楽やミュージシャンへの憧れからロックを始めた。先日、永遠の不良少年ぶりを見せつけてくれたローリング・ストーンズがその いい見本で、僕らは、どこかで、いつもあの少年の頃のままでいる、という自負がある。無鉄砲で不規則な生活にだって、一般の人の数十倍抵抗力がある位におもっている。しかし、現実は、順次老人になっていくわけだし、若い頃ムチャをやった分だけ、そのツケがあちこちで露呈する。
 藤井裕くんは、僕より少し若い(確か37〜38歳)はずだが、音楽デビューはほぼ同じ頃で、大阪の<サウス・トウ・サウス>というバンドで出てきて有山淳司や上田正樹のサポートなどもしたりで、バリバリのR&Bやサザン・ソウルでならしてきた猛者である。二十年前のデビュー当時はあちこちですれ違ったが、一緒に音楽をやるなんて考えも及 ばなかった。それが十年前だったとしても、まだ僕らは若すぎたはずだ。僕は40を越え、裕くんもその他のメンパーも順次40歳近くになって、やっとこのような顔ぶれでバンドの結成が可能になった。
 その他のメンバーとは、僕とデビュー時から交流のある<ムーン・ライダース>の武川雅寛(ヴァイオリン)38歳、故江戸アケミさんを失ったため永久保存宣言をした<じゃがたら〉のOTO(ギター)33歳、である。それ以外のメンバーはまだ20代だ。いずれにせよ、全然違う音楽をやってきた才能が一堂に会して新しい音楽に挑む、というところにも このユニットの意義はある。いきなり手前味噌だが、この<雷蔵>は本当にいいバンドになると自負している。
 しかしである。これは裕くんを責めてもはじまらないことだが、最低限の約東事が成立しないと物事は成りたたない。つまり、肉体にあっては最低限の健康。いやあ、このことに関してはこの僕だって耳が痛い。いや僕に限らず現代人は多かれ少なかれこのことで悩んでいる...









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