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Real Tokyo あがた森魚「ビョークがラース・フォン・トリアーでミュージカルを踊る?!」(映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」レビュー)

Real Tokyo あがた森魚「ビョークがラース・フォン・トリアーでミュージカルを踊る?!」(映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」レビュー) 掲載サイト: Real Tokyo(http://realtokyo.co.jp/)
掲載日  :2000年12月25日

首都圏のカルチャー情報サイト「Real Tokyo」に掲載された映画評。現在は削除されています。


あがた森魚「ビョークがラース・フォン・トリアーでミュージカルを踊る?!」(映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」レビュー)
...ビョーク演じるセルマと息子ジーン、そしてふたりにぎりぎりの愛情を捧げる隣人達との関係は、ドラマチックこの上ないストーリー展開によって、見る者たちを土壇場にまで追い込んでくるが、セルマの存在によってなげかけられるヒューマニズムの問題こそは、僕らに様々な問いをつきつけてくる。むしろ、職業俳優ではなく、歌い手であることが本来であるビョークだからこそ、その意味を問いかけるヒロインを演じ切れたのではなかろうか。

ビョークは、デビュー当初から、デビッド・ボウイに評価されたり、『マルコヴィッチの穴』のスパイク・ジョーンズらとヴィジュアル・アートでのコラボレーションをしたりと、その歌声、キャラクターに似合わぬアグレッシヴな音楽活動の幅を持ってやってきたが、この『ダンサー・イン・ザ・ダーク』への出演により、彼女の存在感は、一気に数段の拡がりを見せた。

演じる。音楽をやる。踊る。そして、歌う。映画というフィールドの中でそれらの役割を万全に演じ切ったことの大きさは計りしれない。ビョーク自身は、映画に出るのはこれが最後だろうと言っているらしいが、音楽への振幅をしっかりとりたいがゆえの映画との距離ともいえるだろう。とりあえずのタイムラグをとったあとで、ビョークはスクリーンで再び何かを演じるはずだ。その時何を演じるのかが楽しみでならない...


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