1975年1月31日 吉祥寺曼陀羅


この日のライブははちみつぱい最後の仕事だそうです。
ニューミュージックマガジン1975年2月号には、あがた森魚+3ぱいと載っていますが、鈴木慶一は4ぱいだと言ってます。
慶一 75年の1月31日。吉祥寺にあるライブ・ハウスで僕とかしぶち君とくじら君と和田君の4ぱいは、あがた君のバックをやる事になっていた。
あがた君は、その頃はもう風都市がなくなっているから、渡辺プロダクションに所属していた。そして、前にこのライブ・ハウスで出演したときに、プロダクションと店とで何かトラブルがあったらしいんだ。

・・・

しばらく演奏をやっていると、ずっと誰かがヤジってる。誰だろうと思って演奏しながら見てみると、照明ブースみたいなところにそのヤジをとばすやつがいるんだ。「やめろ、ヘタクソ!」とかいって。
で、くじら君が怒りだしてさ、ヴァイオリンをバーンと置いて、前へ出ていくんだ。「文句があるんだったら下りてこいよ」とかいって喧嘩になった・・・
(鈴木慶一対談集「火の玉ボーイとコモンマン」より)

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