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季刊ミュージック・ステディ新生号(1981年夏号)

今でこそ、幻のバンドとか伝説のバンドとかいわれるヴァージンVS、しかし当時の音楽誌では無視同然、ほとんど取上げられることもなかったようです。
 このミュージック・ステディのレビューはそんな当時の評価を伝える数少ない資料として、価値があるように思いますので全文引用させていただきます。

「ヴァージン/ヴァージンVS」レコード・レビューより
A児が、あがた森魚であることは、もう罪悪に等しい。ホントに本気で、コレやってるのなら、絶対に元あがた森魚を抹消せねば。何か、はやまって、まちがって、感[ママ]ちがいをしているような気がする。
それとも、昔のあがたのイメージに固執している人間を、おちょくっているのだろうか。
まあ、それは別としても、とにかくコレは、カッコ悪い。去年の最先端だもん。存在自体にまず赤面してしまう。コスチュームに代表されるが如く、まさしく完全に去年かおととしの最先端だ。
根っからのポップ人間じゃない人達の無理ポップは、かなりツライ。写真を見れば、すぐわかるほど強度の無理ポップなんだもの。A児さんも、いつかドッと疲れがくるのでは? 心配です。
ただ、歌詩[ママ]の中に、時折チラチラと顔を出すシナモンの香みたいな、キブンをくすぐる言葉が、ただひとつ、このアルバムで好きな部分だ。
春だったら、軽いジョークで終わらせられたかもしれないけど、今は夏だもん。 (小島芹子)



 うーん、気持ちは分かるぞ。
 このときの変わり様は、ロックらしきものに走ったチャゲ&飛鳥の変わり様よりも恥ずかしいものがあるものなあ。おいらだって70年代から聴いてたらそう思っただろう。
 でも結局、ヴァージンVSこそが、あがたさんが何をやっても、どんなスタイルを採っても一貫したあがたさん自身のロマンチシズムに従って活動しているのだということを証明したものなのだ。
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