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「Ciao! ムーンライダーズ・ブック」(シンコーミュージックエンタテイメント 2015年2月18日発行 定価 1,800円(税抜))

「Ciao! ムーンライダーズ・ブック」(シンコーミュージックエンタテイメント 2015年2月18日発行 定価 1,800円(税抜))
●鈴木慶一インタビュー「ムーンライダーズは終わってはいない」
ーーーその無国籍感が全面に出たのが『イスタンブール・マンボ』ですね。
"無国籍感"っていうのは後で言われたことだけど、当時はあがた(森魚)の『日本少年』とか、細野さんの作品とかも、そういう無国籍感みたいなものをみんな共有していたね。

ーーーそうですよ(笑)、7人目のメンバーを除いては。では最後に、慶一さんにとってムーンライダーズはどういうバンドでしたか?
なんとも言いがたいな。20代になった頃に出会って40年以上一緒にいるわけだ。肉親の次に身近な存在だよ。あがた(森魚)も大切な仲間だけど、あがたとはちょっと違う、至近距離の仲間。
●鈴木博文インタビュー「個性はバラバラだけど、音としてはまとまっている。よくぞこんなに長くやってこられたと思う。」
ーーーかしぶち哲郎さんとの思い出を教えてください。ともにリズム隊を担った間柄で、何か印象に残っていることはありますか。
おれが18か19歳の頃、あがた森魚さんの『噫無情(レ・ミゼラブル)』のレコーディングで、キングのスタジオに呼ばれてね。ちょうどオリジナル・ムーンライダーズをやったあとで、プロデューサーは松本隆さん。ちなみにこのアルバムの『大寒町』のベースは細野さんの演奏です。そして、矢野誠さんがアレンジしたメドレー(「上海リル」「はいからはくち」「モンテカルロ珈琲店」「月曜日のK」)派、オレがベースを弾くことになってね。楽器は持ってきていなかったから細野さんに借りて、勧進帳と言って譜面の長い4曲メドレーを一気に録ったんだけど、その時のドラムがかしぶち君だった。録音後、渋谷の飲み屋かなんかで、「フーちゃんとは合うね」って言われたのが嬉しかったね。ドラムのおかずの入れどころと、ベースの遊びどころが似ていたのかな。ムーンライダーズに合流したのも、あのあがたさんのレコーディングに参加したことが大きかったと思う。
●「百億の色で輝くかしぶち哲郎の世界〜トリビュート・アルバム解説」(安田謙一)
...あがた森魚の「春の庭」。これも、すでに聞こえてくるだろう。歌に顔がある...
●Disc Review Moonriders & Solo Works

Beautiful Young Generation HIGH SCHOOL BASEMENT
「ムーンライダーズ初のカヴァー・アルバムは選曲の妙も光る隠れた名盤」(立川芳雄)
2はムーンライダーズと縁の深いあがた森魚のヒット曲だが、原曲の湿っぽさを粉々に粉砕し、ヘヴィな和風のヒップホップもどきへと変貌させている。
鈴木慶一「THE LOST TAPES SUZUKI TAPES」
「ムーンライダーズ休止中に生まれた貴重な未発表音源集」(今井智子)
2ヴァージョンある「人間の条件」(詞・蛭子能収)の一つと、あがた森魚に提供した「骨」(詞・久住昌之)はライヴ録音で、作者不詳の戯れ歌「国民の歌新生」は、多重録音...
鈴木慶一「ヘイト船長回顧録 In Retrospect」
「出土したのは鈴木慶一自身の記憶の断片"ヘイト船長3部作"の完結編」(村尾泰郎)
...ボニージャックスやスリーグレイセスのコーラスが異国の物語を少年に歌い、あがた森魚、遠藤賢司、PANTAなど旧友達がゲスト参加した「すべてはジャズと呼ばれていた」では少年は若者に成長して音楽に夢中になり、やがて「物語を書きすぎた男」となって回顧録を語る...
岡田徹「架空映画音楽集U〜erehwonの麓で」
「マニアックな音響的アプローチも楽しめる映像を前提とした音楽集の第2弾」(サエキけんぞう)
...あがた森魚作詞・ナレーション「そして船は行くだろう」という音響的手ざわりで何処へ行くかわからない航路に旅立つエンディングが印象的だ...
かしぶち哲郎「リラのホテル」
「共同プロデューサー矢野顕子の役割も見逃せない奇跡的な名盤」(川村恭子)
...表題曲は、あがた森魚が『日本少年』で歌い、ファンの間では名曲の誉れ高いものであった...
鈴木博文「後がない」
「還暦を迎えるも老成せず6年ぶりに吐き出されたソロ・アルバム」
...そしてボーナス・トラックは、あがた森魚とデュエットもする共作曲「A氏とF氏」。ふたりが共有してきた歴史、光景、感情の断片を聴き手に見せるかのような歌詞だ。静かにふたりの41年が詰まっている...
●久住昌之「ムーンライダーズばんざい!!」
2011年4月2日「小さな火の玉ボーイフリーギグ」(渋谷O-WEST)の時についてのコメント
「まさか一緒のステージでボクと慶一さんの歌「骨」をあがた森魚さんと三人で歌う日が来るとは思ってませんでした!」
●岸野雄一「全ては信頼に根ざすーーー理想の人間関係」
...特に10台後半の多感だった頃に、それまでディラン周辺から細部に渡って拡張していった私のリスニング体型から、ニュー・ウェーブに転換していく時期の連作は、影響を受けたというより、かぶれた、という言葉の方が適切だ。当然、はっぴいえんどからYMOへの変節や『乗物図鑑』『東京ワッショイ』といった後ろ盾もあった。しかし、当時を知る者としては、この時期のリスナーにかなりの脱落者がいたことも申し添えておきたい....
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