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ユリイカ2019年2月臨時増刊号(青土社 ¥1,600(税抜))

あがた森魚「あどけない騎士は気高き少女〜少しだけ知ってる矢野顕子さんのこと」
...録音したのは、エルビス・プレスリーの「Don't be cruel」という原曲を、僕が勝手に日本の夏の風物詩に置き換えた「つめたく冷やして」という曲。そのイントロダクションで、あの矢野顕子が鈴を転がすように歌う独特のメロディラインそのままの出だしのピアノソロたった二小節で、スタジオにいた人たちの意識をがっちりと捕まえてしまった。
 スタジオにいた、ほぼ初対面だったはずの細野さんも、ディレクターの三浦光紀さんも、そしてこの僕もびっくり仰天、そこにこんな発想、どこからこの朗らかで人を煙に巻くような不思議なフレーズと感受性が出てくるのか...
矢野顕子インタビュー「矢野顕子の四十年」(前田祥丈)
...一人のアーティストとしての評価はやっぱり「JAPANESE GIRL」からスタートしていますし、今でも間違いなくわたしの代表作と言えると思います。そこにはその当時結婚していた矢野誠の影響もあれば、あがた(森魚)君の「日本少年」(1976年)という作品に参加させてもらった経験も活きている。そういう、いまではありえないいろいろな状況のもとで生まれたもので、同じものをもう一度作れと言われても絶対にできない。本当に宝物のような作品ですね...
三浦光紀「幸運な出会い」
...その後、フィリップスレコードにヘッドハンティングされ、ポスト・ベルウッドとして、新たに「ニュー・モーニング」レーベルを創設します。そこで、あがた森魚さんの超大作「日本少年」の制作を、プロデューサーに細野晴臣さんや矢野誠さん、鈴木慶一さんを迎え、開始します...
...そして、その時持っていたバスケットの中身は、赤ん坊だった風太君だったのです。今でもあがたさんと会うと、よくその話になります...
松永良平「顕子の「さよならアメリカ さよならニッポン」」
...ここで矢吹が彼女のヴォーカルが聴けると列記している名前は、彼女がレコーディングに参加した作品上での架空のコーラスグループのもので、とりわけ最初の二組は、あがた森魚の二枚組大作「日本少年(ヂパング・ボーイ)」(1976年1月)で、山下達郎、大貫妙子らとのコーラスに与えられた名前だった、彼女がこんなふうに歌うなんて、こんな曲を書くなんて、という事実自体が、きちんと知られていなかったのだということがよくわかる...
吉村栄一「矢野顕子ディスコグラフィ」
「JAPANESE GIRL」
...矢野本人によると自身が録音に参加したあがた森魚の「日本少年」を意識してのタイトルと、和の要素を導入下とのことだが、三浦の考えの通り、このデビュー作ですでに既製の概念に収まり切らない矢野顕子の才気があふれている。

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