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ユリイカ2005年6月号(青土社 ¥1,238(税抜))

特集ムーンライダーズ

あがた森魚「初夏蜜柑抄詞篇 隣の教室から潜水艦 双眼鏡覗いてる」
空は未だ群青色の朝 でも太陽の街だよ 黄色い涙くんさよなら
あの日アテネで観た月も ソレ トトントネ きょうはメトロ裏庭で花壇やBar
番茶も出花もメレンゲも八十日間八十八夜
...

鈴木慶一インタビュー「Kの受難」
ムーンライダーズの起源
...そして松本隆さんはというと、作詞家として忙しくなってきていた中にあって、あがた森魚のアルバム「噫無情」(74年)の制作過程でのつながりなどからひとつバンドを作りたい、と...
...そもそもは稲垣足穂の「一千一秒物語」の一篇「THE MOONRIDERS」からですか?
鈴木 そう。新潮文庫の「一千一秒物語」をたしか、あがた(森魚)君に教えてもらって知りました...

「火の玉ボーイ」 ...こういう最初にコンセプトを立てて、ミュージシャンを集めて、セッションをコントロールしながら一枚のアルバムという作品、プロダクションに落とし込んでいく方法論を、慶一さんはどこで身に付けたのですか?
鈴木 あがたと付き合っていて、あがたのモノの作り方に影響を受けたということはあるよね。一曲ではなくて、10曲乃至それぐらいの曲数でひとつの世界を表現していくという。「日本少年」(あがた森魚、76年)のプロデューサーだった細野さんがスタジオの椅子に座っている、その後ろで見てた...

p67には1990年台半ばのあがた森魚と鈴木慶一のステージ写真。

アンケート大会「ライダーズのこの曲が好き!または嫌い!!」
「大寒町」(仲俣暁生)
...あがた森魚の音楽を熱心に聞くようになったのは二十代の初めのことで、そこからあがたさんの元バックバンドとして、はちみつぱいにも興味を持つようになった、というのが私とはちみつぱい/ムーンライダーズとの出会いである...
...私の中では「あがた森魚とはちみつぱい」というあか抜けないバンド名の印象がいつまでも消えない。いまだにバックバンド扱いは失礼だと頭ではわかっているし、鈴木慶一の声も決してキライではないのだが、やはりどうしても、あがた森魚に比べてしまう...
...個人的には、あがた森魚が鈴木博文の曲ばかりを歌う、「博文森魚」というユニットが実現したら最高ですね...
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